昨日、愛知県の岡崎市に行ってきました。
新商品を作る中で、というかいろんな考えが混ぜ合わさり。
素材を挽くのに石臼を使うのが最適なのではというところに至る。
石臼を現在も製作しているところを探す中で岡崎市の石材店を見つけました。
まあ電動ミルと石臼の科学的な知見からの違いは沢山あるのでしょうが、個人的には電動ミルは「痛そう」ということにつきます。
感覚的なものだけですが。
作るときはわりと、「自分が素材ならどうしてほしいか」ということを考えます。
なるべく優しく丁寧に扱ってほしい。
熱を加えるならじわじわとしてほしいし、はやく冷ましてほしい。
切るなら切れ味のいい刃物で。
つぶすなら穏やかに。
けたたましい音でウィィィィ――――ン!とやられたくはないな、と思いながらいつもカルダモンを挽いている。
「ごめん、しゃあないねん」と、「効率」という太くて分厚い文字の前に、僕のかすかな優しさは立ち向かうすべもなくとぼとぼと家路を辿るのです。
これは、とても残念ではありますが、これでいいんです。
効率を求めた上でもっともよいものができるように考えた上での製造方法だから。
カルダモンを電動ミルで挽いた上で最上の香りを愉しめるようにしているから。
はじめの設計がそうだったのでこれはこのまま進みます。
ということは、はじめから設計を変えればいい。
「効率を重視した中での高い位置を目指す」、のでは無く、「効率を度外視した部分を含ませた上で高い位置を目指す」。
この度外視した部分というのが今回の「石臼を使う」ということです。
で、新商品はその設計でいってみようと。
とはいえ、ここまではイメージの話しなので。
昨日、やっとこ試し挽きをさせてもらいに行ってきました。
挽いているときには特段違いを感じることはありませんでしたが、試作段階になると驚きました。
あきらかに香りが違う。
香りだけでなく、素材が死んでいないな、と感じました。
生きている。
形は変われど、細かくなれど、細かくなった数の命がある。
一方電動ミルはそこには一つの命しかなく、細かくなったものが無数にある。
そんなイメージです。
過剰に石臼を讃えているわけではないです。
適材適所ですから。
草譯を電動ミルに変えるかと問われると、「変えません」、と答える。
疲れたのでまた後日。
今日もありがとうございました。