2024年7月1日、それまでの製造所から同じく長野県松本市にある「美ヶ原温泉」にて温泉宿を営んでいた、「湯西屋旅館」へ移転をした。
そこは昭和3年建築の木造3階建ての建物でメインの通りからそれる細い道を入り10メートルほど中に入ったところに在る。
車では入ることのできない細い道なので表通りからは見えないが静かでとても落ち着いた場所。
前の細い道は地元の人の毎日の散歩コースになっている。
そんな素敵な場所に移転することができたのは草譯の最初期からお世話になっている同温泉地、御母家ノ湯「金宇館」のご主人のお陰である。
草譯が完成したころ、金宇館に勤めている友人の料理人の紹介で取り扱いのご検討いただく機会に恵まれた。
お飲みいただき、お話を交わしたうえでお取り扱いしていただけることになった。
信用も実績も全くない中で取り扱いを決断していただいた時の嬉しさは今でも覚えている。
当時は他での取り扱いはほとんどなかったので「助かった」という感じだった。
沢山の素敵なお客様にご紹介いただき販売数も徐々に増え、現在も変わらずお付き合いをいただいている。
2022年頃、このまま今の製造所で続ける事は厳しくなり、ぼんやりと移転を考えはじめた。
そんな中、金宇館に配達に行った際、移転先を探していることを少しお話しした。
そこからしばらくしたときに「今は営業していない旅館がある」ということで湯西屋旅館を紹介していただいた。
それまでは特に松本にこだわりがあるわけでもなく、ここで良い場所に出会わなければ他県でも構わない、と考えていた。
あまり場所に執着がないので海の近くや山の中でも良いなとわりとフワフワとしていたかもしれない。
しかし湯西屋旅館の佇まいをみて「ここで製造できるなら松本にいよう」と自然と思った。
木造三階建ての静かで品のある佇まいや細い路地を入った先にある立地が魅力的で是非大家さんにお話をしていただきたい旨を伝えた。
それからは自宅からも近いこともあり、早起きしては散歩がてら見に行き想像を膨らませた。
大家さんとの話しもスムーズに進みお借りできることになり移転先は無事に決まった。
設計は「金宇館」や上田市にある鹿教湯温泉「三水館」の改修設計を手掛けている北村建築設計事務所にお願いした。
三水館も草譯をお取り扱いいただき、現在まで変わらずお世話になっている。
設計を進める中で建物の古さからどうしても様々な手入れが必要になり金額がどんどんと大きくなる。
その時点ではそれほどの金額の融資返済のイメージができるレベルではなく、計算してはうなだれる日々が続いていた。
妻とも相談し当時の時点では移転に伴う費用を返済する売上が見込めるのはかなり先になる、ということで今回の移転は一旦取りやめにしようということで話しがついた。
そして設計士さんとの打ち合わせ。
天気の悪い日だった。
「今日の打ち合わせで今回の移転はいったん中止にすることを伝えよう」。
雨が降る暗い明かりの中車で事務所まで向かう。
道中もぐるぐると考え到着直前一旦車を止め、もう一度妻と電話をする。
「中止は変わらない。もうしばらく慎ましく頑張ろう。」
この時の気持ちの暗さは今でも覚えている。かなり沈んでいた。
打ち合わせが始まり中止の旨を伝える。
が、設計士さんは草譯の良さを伝えてくれ「このチャンスを逃す手はない。草譯なら絶対に大丈夫」と背中を押してくれた。
妻とも話し、中止を決めていたが、温かい言葉で背中を押され、今のうちに前に進まなければと思い当初の予定通り移転を進めることにした。
あれだけ中止すると決めていたが温かい言葉一つで意外と前に進めるもんだなと思った。
その時のことを妻にも話し大変かもしれないが進んでみるということで納得してもらった。
設計に関しては既にある建物を使うためできることが限られている。
必要な物が置けて全体の空気(建物も、温泉街の雰囲気も)を壊さないようにしてもらいたいということぐらい。
まずは設備を選定しそれらが置けるよう考えてもらう。
製造の工程としては大きく分けると以下のようになる。
1 素材を水で煮出す
2 一晩寝かせる
3 搾汁、瓶詰、殺菌
ざっとこのような工程。
1が味を決める大事な部分なのでここはガラス張りにし、製造風景を見てもらえるようにした。
今まではバーを製造所に変更した手前、外が一切見えない、自然光の入らないところで製造していたので外が見えるということは素晴らしいとしみじみ感じている。
残すべきところは残し、足りないところは十分に手をかける。
そうして新たな製造所が完成した。
そのころには危惧していた売上も自分たちの予想を上回るようになり、なんとか先も見通せるようになってきた。
お陰様です。
続きはまた。