昨日は早速ベルガモットの御注文をいただきありがとうございました。
お届けの段取りをしていますのでお手元に届くまでもうしばらくお待ちください。
今日はよく日の照るいい具合だったので製造所を移して初めて裏山の山道を少し散歩しました。
木々の葉は全て落ち足元はふかふか。
日を遮るものがないので終始暖かで穏やかでした。
山もよく見えたので切り株に座り少しぼーっとしました。
地元の和歌山に居た頃はよく海に、行き大きい平らな岩を探して寝転がり何をするでもなく過ごしていたことを思い出しました。
波はリズムの掴みようもなくずーっと聞いていられる感覚がありました。
今日は新たにお取扱いが始まる酒屋さんとオンラインで打合せ。
お話しする中ででた「地域」ということについて自分の考えが少し開けた感覚がありました。
くさわけは長野県松本市で製造を行っています。
取材等をしていただく中でよく「地域性」という言葉が出てきます。
「地域をあらわす」といった方がいいかもしれません。
または「ストーリー」と形を変えた中で質問をいただくことがあります。
「その土地でできたものを使うことで、その土地でしか出せないものを作り出す。」
まさしくそうだし、そのようなものに魅力を感じて購入につながるということは旅先などではよくあります。
そこで「くさわけの地域性はどこにある?」
となるといつもどのように伝えていいのか困っています。
それは「地域性を出さない」ように作っているから。
原材料の中に長野県産のものは何もなく原産地について国内国外も問いません。
価格、品質のみで仕入れを判断しています。
それはくさわけとして販売する商品はどの地域で作っていようと、どの産地のものを使っていようと求めてもらえるような物を作りたいと考えているから。
可能な限り「味」、「デザイン」、「価格」で判断してもらいたい。
なので地域のことを自らうたうことはありませんでした。
ですが今日お話をする中でなにも
「その土地でできた素材を使って商品を作る」
ということだけが「地域をあらわす」のではない。
「その地域で暮らす人間が作るものはそれだけでその地域を表している」
とふと思いました。
その場の土を通してできたものを使わなくとも作り手自身がそこで生活をし、景色を見ることで、自然とそこでしか浮かばない考えがうまれ、それが形になっていく。
表面的ではないし拡大解釈かもしれませんが、僕がずっと和歌山で暮らし、海ばかり見ていたら草譯は生まれなかったし、仮に飲料製造をしていたとしても全く違う表現になっているのは確実です。
厳しい山々に囲まれ、綺麗な水がある。
そのような環境で生まれ育った人たちの中で生活することでしか、草譯は生まれなかったとすると。くさわけというブランドのみならず多くのブランドはすでにその土地を確実に表現しているのだというロマンチックな感じの話しでした。
そういえば昔から
「特定の地域でできた物」
というより
「誰が作ったものか」
という具合に
地域より作り手に興味があったことを思い出しました。
今日は残業です。
散歩のおかげか仕事が全く追いついていません。
ですがそれのおかげで昔考えていたことを思い出せたのかもしれません。
いい道でした。
今日もありがとうございました。